เข้าสู่ระบบ王都貴族街の午後は、戦場に見えない。
磨かれた馬車道。 季節の花で飾られた門扉。 陽光を受けて白く光る屋敷の壁。 香水と焼き菓子と温かな紅茶の匂い。 そこに剣はない。 槍もない。 怒号も、軍靴の音もない。 けれどエレノアは、馬車の窓から夫人会館を見た瞬間、ここもまた裁定会議の間と同じくらい厄介な場所だと分かった。 王都貴族夫人慈善連絡会。 貴族夫人たちが慈善活動のために使う会館は、王宮ほど大きくはない。だが、社交界における影響力は決して小さくなかった。 孤児院への寄付。 寡婦への衣料支援。 療養施設への花や菓子の慰問。 戦没騎士遺児への教育支援。 そうした美しい名目の下に、貴婦人たちは集まり、茶を飲み、情報を交換し、時には王宮の決定より早く空気を作る。 人は、剣で斬られれば制度は、作った日より、見直す日の方が怖い。 リリアナがそれを実感したのは、登録局で空白分類の試行が受け入れられた翌朝だった。 北翼の小会議室には、前日の会議記録が整えられていた。 ――空白分類、王妃基金関連保護書類に限り試行。 ――窓口分類は三種。今すぐ書く欄、今は書かない欄、担当者確認欄。 ――内部分類は五種。怠慢空白、不正隠蔽空白、未確認空白、時期待ち空白、保護空白。 ――母子仮登録の父欄は、母体状態が安定し説明可能になるまで差し戻し対象としない。 ――三十日後に見直す。 最後の一文が、妙に重かった。 三十日後に見直す。 書くのは簡単だ。 だが、三十日後に本当に見るかどうかは、別の話だった。 リリアナは、その一文を見つめながら言った。「三十日後って、誰が覚えているのですか」 室内の空気が少し止まった。 エレノアが顔を上げる。 ヘンリク事務官は手元の紙をめくりかけたまま止まり、オスカーはペン先を浮かせた。 リリアナは、少し不安になった。「変なことを聞きましたか?」「いいえ」 エレノアは静かに言った。「とても大事な質問よ」 ヘンリクが咳払いをした。「通常は、担当部署の予定表に記載します。登録局側にも控えが残ります」「予定表に書くだけ?」「……はい」 リリアナは、少し顔をしかめた。 予定表。 それは必要だ。 でも、予定表に書かれたことが全部実行されるなら、王妃基金はここまで壊れていない。 父の確認印も、母の支出承認も、予定上は存在していた。 けれど、見
王都登録局は、王宮の北東棟にあった。 王妃基金の北翼から歩いて行けない距離ではない。 ただし、書類箱を抱えて行くには少し遠い。 廊下を二つ抜け、古い石階段を下り、役所棟の中庭を横切る必要がある。 その朝、リリアナは初めて登録局の会議室へ入った。 同行したのは、エレノア、イザーク法務官補佐、ヘンリク事務官、そして記録係のオスカー。 カインは来ていない。 代わりに、彼の短い書面だけが封筒に入っていた。 ――登録局で揉めた場合のみ開封。 リリアナは、それを見た時、少しだけ嫌な予感がした。「揉めるのですか」「揉めないために持っていくのよ」 エレノアはそう言った。 けれど、目は少し笑っていた。 登録局の会議室は、王妃基金の小会議室よりずっと硬い空気をしていた。 壁には過去の登録規則が額に入れられている。 机は長く、椅子は重い。 窓は大きいが、風通しよりも採光を重視しているのか、室内には紙と乾いた革の匂いが溜まっていた。 そこに、登録局の職員たちが集まっていた。 補佐官バスティアン。 上席登録官ローデリヒ。 出生・婚姻記録担当のミレイユ。 孤児・保護記録担当の老書記セルジュ。 若い記入係が二名。 ローデリヒ上席登録官は、白髪混じりの痩せた男だった。 姿勢は正しい。 声も低く、よく通る。 いかにも長く役所の紙と生きてきた人間、という印象だった。 彼はエレノアたちへ礼をしたが、その目には警戒があった。「王妃基金より、空白分類に関する運用案をご提出いただいたとのこと。拝見いたしました」 丁寧な言葉。 だが、歓迎している
空白は、敵。 王宮では、いつの間にかそんな空気が生まれ始めていた。 それも無理はなかった。 王妃基金の不正は、空欄から始まった。 誰が確認したのか分からない欄。 誰が受け取ったのか曖昧な欄。 いつ支出されたのか不明な欄。 父グレゴールが確認しなかった欄。 夫人会が都合よく見ないままにした欄。 空白が不正を隠した。 空白が責任を逃がした。 空白が弱い人の寒さや痛みを、帳簿の外へ押しやった。 だから、王宮の事務方が「空欄をなくせ」と言い始めるのは自然な流れだった。 だが、自然な流れが正しいとは限らない。 その日、北翼の小会議室に届いた一枚の通達案が、まさにその危うさを示していた。 差出人は、王都登録局の補佐官バスティアン。 題は簡潔だった。 ――王妃基金関連仮登録書類における空欄削減について。 リリアナは、題名を読んだ瞬間、嫌な予感がした。「空欄削減……」 エレノアも表情を引き締めた。 イザーク法務官補佐が封を切り、文面を読み上げる。「王妃基金再建に伴い、各種支援記録および仮登録書類の正確性向上のため、未記入欄の削減を進める。特に母子仮登録における父名欄、住所欄、身元保証欄について、原則として七日以内に記入を完了すること。記入不能の場合は、不能理由を詳細に記載すること」 そこで、リリアナは思わず顔を上げた。「七日以内?」 イザークは続きを読んだ。「父名欄については、父不明、父死亡、父名非公開、婚外出生等の分類を行い、登録局への後日照会に備えること。空欄のままの提出は、原則として差し戻し対象とする」 部屋が静まり返った。 父名欄。
雫、という仮名が置かれた翌朝。 王妃基金の北翼に届いた報告書には、いつもより一枚多い紙が添えられていた。 仮登録紙の写しだった。 母仮名、雨音。 子仮名、雫。 性別、女児。 出生日時、前々夜。 体温、やや低めから安定へ。 保温布使用。 授乳、少量。 母の食事、四口を基準。 そこまでは、リリアナにも分かった。 けれど、次の欄で手が止まった。 ――父名。 空白だった。 ただの空欄。 線が一本、白く残っている。 しかし、その空白は妙に大きく見えた。 リリアナはしばらく黙っていた。 隣で報告書を読んでいたエレノアも、その欄に視線を落としたまま動かない。 父名欄。 これまでにも、空欄は何度も見てきた。 王妃基金の空欄。 公爵家の空欄。 父グレゴールが確認しなかった空欄。 リリアナが知らされなかった空欄。 ノルが姓を出したくない空欄。 けれど、赤子の父欄の空白は、それらとは違う痛みを持っていた。「これは……どうするのですか」 リリアナが尋ねると、フィオナ司祭は静かに答えた。「今は、空白のままにします」「空白でいいのですか?」「よい、というより、今はそれ以外にしてはいけません」 してはいけない。 その言い方は強かった。 リリアナは顔を上げる。「父親を聞かないということ?」「今は聞きません」「でも、登録に必要なのでは?」「場合によります。正式な出生登録では、父
雨音が四口食べた理由は、粥の味だけではなかった。 そのことが分かったのは、翌日の昼前だった。 聖リディア産婆院から届いた報告書には、いつものように食事量、体温、授乳、夜間灯油の使用量が並んでいた。 ――雨音、朝四口。 ――湯気を逃がした粥。吐き戻しなし。 ――本人、五口目で手を止める。 ――理由を問うと、「四口でいい」と返答。 ――子、仮名未定。体温やや低め。保温布調整。 ――夜明け、朝半椀。灯り、授乳少量。体温安定。 リリアナは、そこを二度読んだ。「四口でいい……」 昨日は、三口から四口へ増えたことを喜んだ。 けれど今日は、五口目で止まった。 しかも、気分が悪くなったからではない。 痛いからでも、眠いからでもない。 本人が「四口でいい」と言った。 エレノアも報告書を見ていた。「気になるわね」「はい。でも、聞きすぎるのもよくないですよね」「ええ。理由欄は、相手の心を無理に掘るためのものではないわ」 リリアナは、その言葉をすぐに手帳へ書いた。 ――理由欄は、心を無理に掘るためのものではない。 食べられなかった理由を書く。 それは、次の支援につなげるためだ。 けれど、理由を聞く側が間違えれば、尋問になる。 雨音が四口で止めた理由。 知りたい。 けれど、知りたいから聞くのではない。 次の食事をどう出すかに必要なら、聞く。 本人が話せる範囲で。 そこを間違えてはいけない。
基準椀が届いた翌日、聖リディア産婆院の台所には、小さな混乱が起きた。 椀が割れたわけではない。 粥が焦げたわけでもない。 夜間灯油が不足したわけでもない。 問題は、壁に貼られた一枚の表だった。 ――産後食事表。 そこには、母親ごとの仮名、朝・昼・夕の粥の量、吐き戻しの有無、体調、次に見る時間が書かれている。 夜明け。 朝、半椀。 昼、半椀より少し多く。 夕、三分の一。 吐き戻しなし。 疲労あり。 次回、朝。 そこまではよかった。 問題は、その下だった。 ――雨音。 朝、数口。 昼、拒否。 夕、未確認。 雨音というのは、別室にいる母親の仮名だった。 彼女もまた本名を出したくないと言い、前日に仮名記録の説明文を読んだ一人である。 雨の夜に産婆院へ来たから、雨音。 本人がそう言った。 年は夜明けより少し上に見えるが、目の下が深く、いつも耳を澄ませるように周囲を警戒している。 その雨音が、昼の粥を拒んだ。 理由は、表だった。「食べられないのを、みんなに見られるのは嫌」 エダ産婆からの報告には、そうあった。 リリアナは北翼でそれを読んで、しばらく黙った。 基準椀。 食事表。 半椀。 記録。 良い仕組みだと思っていた。 いや、良い仕組みではあるのだろう。 でも、壁に貼れば誰かに見える。 夜明けが半椀食べたことは前進だった。 だが、雨音にとっては、自分が数口しか食べられないことを突きつ







